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ストーリーズ

ニコ・チェレギーニが語るミサノの記憶――1987年、アプリリア初勝利が切り開いた勝利の系譜

公開日:2026年2月7日
執筆者:ダイネーゼAGVジャパン編集部

世界選手権の歴史に刻まれたミサノでは、実に多くの出来事がありました。どのサーキットでも同じですが、良いことも、悪いことも、そして最悪のことも見てきました。

それでもGPを前にすると、私たちは良い思い出を振り返ります。私にとってのミサノは、1972年に造られた旧コース最終コーナー「ブルタペーラ」での激闘そのものです。興味深いことに、ブルタ・ペーラとは、土地を手放した農夫のあだ名でした。コーナーは左で、次第に狭くなり、角度をつけて進入して立ち上がりを作り、最後は緩やかな左/右の“S”で締めくくられていました。ここは起死回生の突っ込みが生まれやすく、全てを賭ける場でしたが、ストレートへ出るラインは一本しかなく、接触は避けられないほど厳しかったのです。

1970年代後半の250ccレースで、ウォルター・ビラがジョニー・チェコットのカウルを叩いた場面を覚えていますし、1991年の250ccでは、ルカ・カダローラとヘルムート・ブラドルが並走したままゴールへ雪崩れ込む、カウル同士が触れ合う信じがたいスプリントもありました。

9千分の1秒差で勝ったルカに「どちらが仕掛けたのか」と聞くと、「分からない。でも、彼より肘が前にあったし、譲るつもりはなかった」と答えました。当時は制裁もなく、FIMも黙認していました。ライダー同士は激しく争っても、後には引きずらなかったのです。しかし私にとって最も濃密で忘れがたい出来事は、1987年、アプリリアが初めて世界選手権で歴史的勝利を挙げたあの瞬間です。

1991年のロリス・レッジャーニの走行シーン

アプリリア、世界選手権への参戦

8月下旬、猛烈な暑さの中で、ロリス・レッジャーニの周囲にはどこか特別な空気が漂っていました。情熱と信頼、ライダーへの深い愛情がある一方で、不安もあったのです。

AF1 250で数年戦ってきた小さなチームでは、マシンの完成度に夢を見ながら、同時に験担ぎもしていました。速さはあったものの壊れやすく、ライダーも度々トラブルに巻き込まれました。向こう見ずさと不運が重なった結果でした。

アプリリアはすでに、革新的で色鮮やかなバイクを生産し、トライアルやモトクロスで勝利を重ねる重要なメーカーでした。そのアプリリアが、外部チームとして世界選手権に参戦します。

フィレンツェのミケーレ・ヴェッリーニがイヴァーノ・ベッジョに提案し、フォルリを拠点とするCR1レーシングが結成されました。ライダーはレッジャーニ、マシンはロタックスエンジン搭載のAF1 250です。回転ディスク式のタンデムツインで、決して新しい設計ではなく、リードバルブ勢より扱いは難しいものの、パワー特性は研ぎ澄まされていました。1985年にデビューしてすぐに2度の表彰台を獲得しましたが、1986年は公道事故で骨盤多発骨折と足首に後遺症を負い、悲惨な年となりました。

1987年シーズンは最初の3戦で3度のリタイアという最悪のスタートでした。しかしモンツァではネイションズ・ポールで実力を示し、6月のザルツブルクとリエカで2位を獲得します。

その後ミスもありましたが、ロリスはきつすぎるスーツに身を押し込みながらドニントンで2位。アンダーストープではピストンが焼き付くトラブルを抱えつつも3位、ブルノではリタイア。そして迎えたのが、現在マルコ・シモンチェリの名を冠するミサノでのサンマリノGPでした。

レッジャーニ、成し遂げる

フロントローから好スタートを切ったレッジャーニを覚えています。ポールはカダローラで、その隣にはアゴスチーニのヤマハ。やがてロリスは抜け出し、少しずつリードを広げていきました。

追走集団との差が広がるにつれ、ピットウォールの緊張も高まります。ヴェッリーニ、ベニート・サヴォイア、レアンドロ・ランベッリ、ドルフ・ファン・デル・ワウデ、そして頼れる“チュトゥール”(ロリス・モンタナーリ)は、笑うべきか泣くべきか分からなかったのです。

「不運がなければ運もない」とロリスはよく言いますが、その日は“不運の女神”がよそ見をしていたのでしょう。

レッジャーニは、ファステストラップを記録したルカ・カダローラに7.9秒差をつけてフィニッシュ。3位のシト・ポンスには11秒差でした。

さらに後方には、サロン、ヴィマー、後に世界王者となるマン、そしてガリガといった大物が続いていました。妻ティナとともにミサノにいたイヴァーノ・ベッジョは、世界選手権制覇は手の届くところにあると確信し、ノアーレに本格的な社内レーシング部門を設立する決断を下します。これは見事な判断でした。5年後、グラミーニと125ccで初のスピード世界タイトルを獲得し、続いて1994年からはマックス・ビアッジが250ccを席巻します。そのレーシング部門は、今なお世界屈指の存在です。

たった一勝で、ひとつの現象は生まれるのでしょうか。1987年8月30日、その答えは「イエス」でした。

友人たちの情熱と献身が奇跡を起こし、ミサノとそのコースが、その舞台となったのです。

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ダイネーゼAGVジャパン編集部

ダイネーゼAGVジャパン編集部は、イタリア発のモーターサイクルウェアブランド「Dainese(ダイネーゼ)」およびヘルメットブランド「AGV(エージーブイ)」の日本正規輸入元として、製品情報・アスリートのインタビュー・ブランドの今を発信する編集チーム。 ビギナーからエキスパートまで、ライダーの安全性を最優先にした情報提供を行っています。

2026年2月7日公開
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