2020.05.16

ガイ・マーティン:マン島の矢

TycoチームのGSX-R 1000は、時速300kmを超える速度でサルビー・ストレートを駆け抜けます。
その後すぐにラムジーを通過してターンに向かい、山に向かってグースネックを通過。
ブレイヒルに戻ってゴールする前に、マンクスの緑の草原をしなやかに走る伝説のターマックベルト。

マン島にある60.7kmのスネーフェル・マウンテン・コースは、世界で最も古く、最も有名なレーシング・サーキットです。

ガイ・マーティンは、フロントタイヤの数十メートル先で何が起こっているのか、目を見開いて乗っています。
最も権威のある2014年のシニアレースでは、マイケル・ダンロップとコナー・カミンズといった生きる伝説たちの横で、表彰台の3段目に立ちました。

それがマン島ツーリスト・トロフィー。ロードレースです。

1907年から今日まで、26回の勝利を積み重ねてきた者もいれば、10回の者、1回だけの者、そして一度も勝ったことがない者もいます。
グリムスビー出身の33歳(2014年当時)の若者は、まだ真の栄光を手にしていない人たちの中にいました。

ガイ・マーティンは、マン島でいくつかの"傷跡"とともに9回の表彰台を獲得しましたが、誰よりも高くウイングド・マーキュリーのカップを持つことはできませんでした。

ガイ・マーティンは、その"傷跡"のことを考え続けていました。

特に考えたのは、クレグ・ナイ・バー・パブの前の右折が近づいてくるときです。

"ダンロップより30分近く遅い3位でゴールするくらいなら、立ち止まってフィッシュ&チップスの盛り合わせを食べたほうがいい。"

2010年の傷跡は、おそらく最も忘れがたい傷跡です。

シニアTT。ガイ・マーティンは、赤と銀の特別カラーリングを施した、美しいウィルソン・クレイグチームのホンダに乗りました。
トップを走っていた彼は、イアン・ハッチンソンを相手に、数千分の1秒の差をつけられます。

そして3周目、CBRは時速270kmでバラガレイコーナーに接近。TT史上最も恐ろしいクラッシュを引き起こすには十分すぎる速度でした。

ホンダはコーナー外のピットに激突し、火の玉と化しました。
ガイ・マーティンはバイクから落ち、ピットにぶつかり、道の真ん中のアスファルトの上を滑りました。

彼は生きていました。

状況がわからないまま、眉毛をくしゃくしゃにした状態でノーブル病院に運ばれたものの、ほどなくして、自身の写真を見て何が起こったかを理解しました。
がしかしその数日後、もう彼は来月のSouthern 100への参加を考えていたのです。

彼は天に感謝し、それ以上にギアとプロテクターをデザインしてくれた人にも感謝しました。

AGV製のヘルメット、ダイネーゼ製スーツ、ブーツ、グローブ、背中と胸のプロテクター。
ガイ・マーティンは特に、この最後の胸のプロテクターに注目しました。

彼は1シーズン前から使い始めていましたが、早速彼の命を救ってくれたのです。
そしてバックプロテクターも、着用していなかったらどうなっていたか、想像もつきません。

いずれにしても、いくつかのアザができただけで済みました。

ヘルメットは、深い擦り傷がいくつかある以外は、比較的良い状態です。
ブーツと手袋は、革、カーボン、アラミド繊維で作られており、手と足を守ってくれました。

スーツの破れは、落下のせいではありません。
ERの医師が、治療のためカットしなければならなかっただけです。

彼がグランドスタンドとチェッカーフラッグに向かうあいだ、いつものように、どんな状況でも、ダイネーゼが守ってくれることを知っています。
ホワイトとライトブルーのスーツには、鎖骨と肩を守る、特許取得の最先端のエアバッグシステムが採用されています。

このエアバッグシステム「D-air® Racing」は、サーキットレースで数年前から導入されており、MotoGPの同僚であるバレンティーノ・ロッシらによって開発されました。

これをロードレース用に使うためには、アルゴリズムがサーキットレースとロードレースの転倒の違いを学習しなければなりませんでした。

バロー・ブリッジや、時速270kmでのウィリーなど、通常とは異なる状況にどう対処するか。これを理解しなければならなかったため、ダイネーゼにとっては挑戦的な作業となりました。

ダイネーゼの研究開発部門(R&D)は、新製品を開発するために、常に最も過酷なテスト環境を利用してきました。そしてマン島のツーリスト・トロフィーに勝るものはありません。

そこに参加するライダー達は、最も要求の高いテスターですが、そのベネフィットは一般商品にまで及び、すべてのライダーのためのものとなるのです。

ガイ・マーティンはそれを知っています、これも彼の仕事の一部です。
皮肉に思えるかもしれませんが、ピットと街灯の間を非常識な速度で走ることは、日曜日の朝にツーリングに向かう一般のバイク愛好家とプロフェッショナル、両方のライダーの安全性を高めているのです。

グレンクラッチリーロードのゴールまであと数百メートル。
ガイはマン島の首都・ダグラスの路上で、最後のステップに集中しています。
次の表彰台が彼を待っています。シャンパンの栓を抜くのはいつも楽しいものです。

これが彼のスーパーバイククラスでの最後の表彰台となりました。
翌年には600に乗ってもう1つの表彰台を獲得し、2017年のTT Zeroでも1つの表彰台を獲得しています。

彼は決して勝つことはありませんでしたが、多くの結果と成功を達成しました。
自分の限界に挑戦することに費やされた人生、そこではどれだけのスピードも、決して十分ではないのです。

ARCHIVE